なんとなく元気

なんとなく元気なつもりで・・・

映画鑑賞

今日はとても天気がよかったのですが、映画鑑賞することにしました。
実は映画館の近所の電器店に修理に出していたフードプロセッサーを取りにいくことにしたからです。
平日の午後。

ほとんど貸し切りであります。
見た映画は
「ソーシャル•ネットワーク」

そうです、今では世界的なSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)facebookの実話をもとにした誕生から成長への物語であります、
ハーバードの学生がインターネットの世界で成功していく内容となっておりますが、まさに現代的というかスピードに富んだ映画でありました。
facebook
このSNSは以前自分も考えていたサービスであり、今でも興味のあるところです。
日本で「指とま」という同窓会SNSが出現して以来考えるのを止めてしまっていました。
日本、アメリカ、世界でも、人は正直なコミュニケーション、信じられる情報を求めているのだと思いました。
「誰もがハーバードの学生と知り合いになりたがっている」という発想から始まった
The facebook
「ハーバード」というブランドを利用して広がった。
つまり、ハーバードという確かな価値なくしてこのSNSは拡大することはなかったのだ。
しかし、どこかの段階で世界中の個人と個人をつなぐネットワークとなってしまった。
それは何なのだろうか。
それは「真実」ということではないだろうか。
ネットワークという社会に顔を出し、実名を出せばもはや逃げられない。(簡単に脱会はできるかもしれないが)
アバター使えば何かやましいことがある人だと思われるし、偽りの写真を使っていれば全世界の人から「嘘つき」と非難される。
映画では(事実なんだろうが)友人や関係者からアイデアを盗んだと訴訟をおこされているが、巨万の富を築くような事がなければ、何の問題もなく学生生活は進んだはずだ。
お金や地位を手に入れると、人はそれをうらやむものなんだな。
映画を見終わって、何故かスッキリしなかった。
主人公が、一緒に事業を始めた友人を切り捨てた(後で復帰しているが)からだ。
創業者のマークはどう思っているのだろうか。

その友人のネットワークから学内に拡がり、世界中へと浸透していった。
皆が拡げていったことであり、自分はベースを作っただけではないか。
一握りの人間だけがネットワークでボロ儲けしてはいけない。
何故ならコミュニティの住人あってのネットワークなのだから。
最初、広告はクールではないといって入れるのを憚っていたが、大きな出資を得て広告という手段で価値を売り捌くことになる。
まあ、現在のように双方向での広告であれば存在する意味もあるとは思うが、SNSの情報が信頼しうるものであるならば、広告のような有料のサービスが本当に必要なのだろうか。
結局は人なのだろう。
人は他人を信じたがり、信じられる人を求めている。
あえて言おう。
自分の発言に責任を持てるのがカッコいいのだ。
人を裏切らない「地の情報」こそがCoolなんじゃないの。
偽らざる地の自分を出し合える社会を求めているのだと思う。
ウェブ上で別の自分を演じたり、匿名でこそこそする時代はもう終わろうとしているのかもしれない。
それぐらいにインターネットの世界が現実に融合してきたという事であろうか。
facebook
遅れてきて大きくなった存在。
そこには、自分の「やりたい」をとことん表現できたという現実が残る。
スピードと実現力。
発想やアイデアだけでは何も始まらない。
忘れかけていた自分の「エンスージアズム」に火をつける時がきたようである。
そんなに娯楽性の高い映画ではなかったけれど面白かった。

家に帰って気づいた。
電器屋に寄ってないじゃん!!!


教訓
人はお金のあるところに集まってくる。
でも、本当は人を求めているのだ。
そして自分の求めるもの意外には価値を見出さないものである。