なんとなく元気

なんとなく元気なつもりで・・・

生きる意思

早朝に目覚めた。
まだ夜明け前、
外は闇である。
自分の場合、朝早く起きるとそれは自分にとって儲け物。
いろんなことを開始する。
決して寝直そうなんて思わない。
反して家人は眠ることが最高の幸せといつも高いびきである。
しかし、今日はかみさんも早朝に神戸へ研修に行くというので起きてきた。
最初の今日の仕事は彼女を駅まで送り届けることである。
それからは自由。
まあお互い様だけど。
月曜日の夜まで独身を謳歌できるのだ。
FREEとはどういうことなのであろうか。
いつも人間はFREEのはずだ。
なぜならば、死ぬときは誰に指示されるわけでもなく、
勝手に死んでしまうのだから。
本来は自由に生きてよいはずだ。
なのに何かのせいにして勝手に自分を縛り付けてしまうのだ。人間は。
仕事の為、家族の為、健康の為、
生きる為の理由付けや言い訳をしている。
それは人間が一人では生きられない動物だからなのであろうか。
それならば、一歩進んで
思うように生きよう。
そしてそう生かしてもらうことに感謝しよう。
今日

というものに行ってきました。

別府のAPUという大学で明日7日まで開催されてます。
この大学があるから身近で写真展を拝見することができたのだ。
大学のあり方も考えさせられました。
戦場やスポーツ、環境、貧困や麻薬などの報道写真が展示されていた。
何も語らないのにビジュアルというものは人間に強烈に訴えかける。
そのシャッターを切る状況に一緒に存在することも大変なことだが、
その現実から目をそらさずにシャッターを切ることができるカメラマンは凄いのである。
昔から報道写真には戦場や貧困などのものがあったが、
21世紀の現在でもほとんど変わっていないような気もする。
人間とは本当に変わらない生き物なんだ。
先が見えてても同じことを繰り返してしまう。
だから報道写真展も繰り返してやるしかないのだ。
デジタル時代に入り、地球上の人類全員がカメラマンになっていくのかもしれない。
偶然その現場に居合わせることはできるかもしれないが、
確実にシャッターを切れるのが本物のカメラマンではないか。
そこには撮る自由だけではなく、その裏には使命のようなものが存在しているのだ。
カメラにおさめるという意思が。
同様に、「生きる」とは
自由に生かされるだけではなく、
意思というか目的を持つことで大きく質が変わると思う。
単なる使命感ではなく、自由のもとに自分が抱いた意思。
生き方に「意思」を持とう!