なんとなく元気

なんとなく元気なつもりで・・・

旧友再会

今、京都に来ています。
土日で高校の同期会の旅に参加して
神戸、大阪、京都の三都めぐりでした。
神戸の港で酒を飲み、

異人館を訪ねてみた。
そこには自分の記憶を呼び覚ます
ある建物があった。

それは震災前の姿をそのままに。
かつて、この異人館を公開するために歴史を調べ、
展示品を選び、館内をレイアウトし、
映像を作り、動体感知センサーで上映するシステムを設置し、
新聞、テレビで告知、特番も組んだ。
会社時代の想い出の地である。
今は公開していないが、当時の姿そのものだ。
舞妓さんと記念撮影している自分を思い出した。
それは、机の掃除の時にたまに見る手持ちのスチール写真の画像だ。
その異人館オープンの日にタクシーを連ねて京都から呼んだ
舞妓はんとのツーショットの記憶。
それは写真として自分が持っている画像の記憶である。
このように
記憶とはトレースしておかないと
失うに等しいものなのかも知れない。
懐古とは、記憶を束ね脳内で当時を擬似体験することじゃないかな。
個人にとって、記憶とは生きてきた人生ほどの財産だと思う。
だから、思い出すという行為はとても大切なのである。
今回の同期会参加も記憶のトレースには貴重な体験だった。
本当の自分を思い出したようだ。
夜の宴会は、大阪のホテルにて。

卒業後、四半世紀以上経って、
「初めまして」のような状態で始まり、
何時しか、ちゃん付けで呼び合っていた。
同じクラスで一度も口を聞いたことのなかった女子達とも話が弾んだ。
凄いな!
ただ三年間同じ学校に通っていただけなのに。
同じ時間を共有したということが、これ程までに懐かしいのだろうか?
人は自分を捜しながら生きている気がする。
過去の記憶に出会うことで自分の存在を確認しているような。
今回、皆に会い自分の家に「帰宅」した気がした。
宴会の後、皆で繁華街に繰り出した。
深夜、部屋に戻り同室のY君と明け方近くまで話した。
彼とは小学校で同級だ。
当時の事ではなく、今の時代のことを話した。
政治、経済、文化、宗教のこと。凄く話が尽きないのだ。
何十年ぶりに会う人と。
お互い言いたいことを言ってるだけなんだけど、気持ちいいのだ。
確実に小学校時代に戻って、現代の話をしてる。
そしてY君は、私がクラスの中でどんな存在だったかを思い出して言ってくれた。
ピンときた。
かつての自分を思い出させてくれたんだ。
ありがとう、Y君。
そして今回の旅を企画してくれた関西組に感謝です。
オリジナルデザインの旅の栞から案内旗、移動中のBGM、宴会の演出からお土産まで、
デザインとは人の心を伝える大事なツールなんだなとあらためて自覚したのであります。
今、息子の京都の部屋でこのブログを書いている。
この歴史ある京都は、日本人の貴重な心の記憶たる日本文化を残している
日本人の旧友なのではないだろうか。

眺めの良い清水の舞台も、足元は幾重にも柱が組み上げられて存在しているのです。
記憶という柱を素敵に組み上げて行こう!
一人一人は個人だけど、孤独ではないのだ。
まさに、今回の旅は「温故知新」の旅でありました。