なんとなく元気

なんとなく元気なつもりで・・・

コミュニケーションのこと

26日の金曜日
別府ビーコンプラザへ。
姜尚中 氏の講演会に行ってまいりました。
会場入り口は入場者でいっぱいでした。


姜尚中 (カン・サンジュン)
Kang Sang-jung
1950年、熊本県熊本市に生まれる。
早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。旧西ドイツ、エアランゲン大学に留学の後、国際基督教大学助教授・準教授などを経て、現在東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授。
専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍。
主な著書に『オリエンタリズムの彼方へ――近代文化批判』、『マックス・ウェーバーと近代』、『ナショナリズムの克服』、『姜尚中政治学入門』、『日朝関係の克服』、『在日』、『ニッポン・サバイバル』、『愛国の作法』、『悩む力』、『母~オモニ』など。

よくテレビで見かける方です。

今回は手話通訳問題研究会全国大会の記念講演で別府へ来られました。
演題は『コミュニケーションの限界と可能性』であります。

講演の内容は全て氏の実体験からのものでした。
氏のお母さんは文盲で読み書きができなく、親子でありながらコミュニケーションがうまくできなかったそうです。手紙を書いても読んでもらうこともできないと。
手話も同じだな。(通訳が必要)
心の通う肉親でさえ、意思の疎通が難しい場合もあるのだ。
ましてアカの他人となると・・・。

インターネットが普及し、FACEBOOKTwitterなどの便利な道具がたくさんできたけど、コミュニケーションは痩せ細っていると氏はいう。
それは文字言語至上社会がそうさせた?
文字記号にできないものは価値のない世界になっていくのだろうか?
人と人が一緒にいる微妙な状況の価値も、「なう」とか「いいね」という文字で同時性を共有することで意味を持つ社会。
ましてインターネットを知らない人間は蚊帳の外である。
反省。
コミュニケーションが希薄になっていると言われて自分も今頃気がついた。
もっと他人の話をじっくり聞かなければ。
メールやブログなど、一方的に発言するばかりでじっくりと聞くことをやってない。
コミュニケーションとは双方向。
本来、人間は自分のことを聞いてもらいたいんだ。
だから発信する。
何も言わなければ存在はゼロだけど、
もの言わぬ存在は多数であり、その存在こそ正直なのかもしれない。
公開の中で正直にコミュニケーションすることはとても勇気のいることなのだ。

情報交換というよりも、実感共有というのでしょうか。
文字言語の向こうにある人の声をちゃんと聞けるようになろうと思うのであります。

姜さん、ありがとうございました。