なんとなく元気

なんとなく元気なつもりで・・・

6兆5500億円使って「効果ゼロ」?

先日新聞を読んでいてザンネンな記事が目についた。
国が実施したバイオマス関連214事業の評価報告についてだ。
バイオマスとは、「動植物に由来する有機物である資源(化石資源を除く。)」であ る。バイオマスは私たちのライフサイクルの中で、生命と太陽エネルギーがある限 り持続的に再生可能な資源であり、さらに化石資源のようにエネルギーとしても製 品としても活用でき、国民生活の幅広い場面での活用が可能である。<バイオマス活用推進基本計画より>
植物など再生可能な資源を、枯渇していく石油みたいな化石資源のかわりに使いましょうみたいなことなんですが。
<2/15大分合同新聞夕刊>
国の肝いりで推奨、6年間で約6兆5500億円もかけて実施してきた事業。
関連6省は75%について「効果が出ている」と回答したが、行政評価局の独自評価では循環型社会形成などに繋がるだけの効果が出ているケースはゼロだというのだ。
資源のない日本にとって環境問題は生命線だ。
温室効果ガス25%削減というのも方便だというのか。
日本は地球環境の為にしっかり働くべきだと思う。
そして地球における必要不可欠な存在となるのではないのか。
「効果ゼロ」みたいなことで済ましてはいけない。
認可する側の認識の甘さもあるが、補助金交付金を使う側の認識も問いたい。
環境に限らず、補助金を最初から目当てにしている人を見かける。
安易に「国が半分出してくれるから」とか「環境でひと稼ぎ」なんて事業を遊んでいないだろうか。
「志」がないのである。
環境問題は社会の問題ではなく、我々自身の問題である事を肝に銘ずるべきである。
国は事業者の志を買うべきなのだ。
6兆5500億円も投資しているのだから、失敗であれ何であれ出てきた結果を活かした新しい提案があってもいいんじゃないの。
その経験からきっと何かが導き出せるはずだよ。
悲しい結論であっても。

最近、つくづく思うことがある。
全てのものが記号に変えられている。思想、芸術。
音楽や映像に始まってお金まで、あらゆるものがデータ化されていく。
補助事業も失敗すれば、ただの報告書というデータでしか残らない。
我々は全ての認識をデータで判断するようになるのだろうか。
「幸せ」までもデータで感じるようになることを畏れるのである。
物事がデータに変換されてしまうと、その温度や香りといった「思い」のようなものが見えなくなってしまう。
物そのものの信頼が見えなくなる。
そもそもデータは人間の都合で決めた記号みたいな物で、容易に修正できるし、作り出すことができる。
世界には数多くの虚偽データがウェブを通して氾濫している状況だ。
何を信じれば良いのか分からなくなる。
信頼できるものが必要になるんだ。
だから、僕は「志」として
「信頼の可視化」
を目指していこうと思うのです。